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seiseki squareSSRブログ

2018/10/08

大栗川の真相


 
 
 
 明治時代の地図を見ると、和田の宝蔵橋の少し上流で、それまで八王子の鑓水(水源)から北上してきた川の流れが百草園のある山裾に突き当たり、突然、北に向きを変える。そこは、六十年ほど前まで台風のたびに氾濫する名所だった。そのあたりに『大栗』という小名があったらしく、大栗川はそこから来ていると想像はできるが、上流に大きな栗の木があったからという俗説は噴飯物である。

 ところで、日本の公式地形図は明治以降、戦略上、帝國陸軍が一括作図、管理していた。それが陸軍参謀本部陸地測量部による地形図、いわゆる陸測図である。作図に当たっては担当官が、村の識者にインタビューし、地名などを聞き取っていった。その際、識者が正しい漢字を示せないと、担当官がひらめくまま当て字していく手順であったようだ。

担当官「このあたりの小名について聞きたい」
識者「はい。『おおぐり』と言います」
担当官「どんな字を書くのか」
識者「・・・・・・」
担当官「よし、『大栗』としておこう」

 民俗学の観点から地名を読み解くと本来の意味が見えてくる。日本中にある同じ、または似た地名(落合、落川など)をその地形に照らし合わせると、『あぶり出し』のようにその由来にたどり着ける ----- そういう研究書は、今はいくつか上梓されているので、興味のある方は参照してみると面白いだろう。

 『おおぐり』は、漢字を当てるなら『大刳り』が正しかろう。今も単語として使われる、セーターや肌着の首回りの部分・『襟刳り』の『刳り』である。簡単に言うなら、『大きく刳(えぐ)られた場所』ということでいいだろう。

 今でも旧おおぐり地区を眺めると想像に難くない ----- 嵐で水かさを増した川が、砂地である関東ローム層の山肌に突き当たり、断層をえぐり、地盤が垂直に崩壊し、川を堰き止め、臨時のダム湖を形成し、二次災害にも繋がったことだろう。
 『おおぐり』のすぐ下流にある宝蔵橋は、今はない伝承の寺の宝蔵があった場所だとか。洪水により流失した疑いは免れまい。


 

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