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seiseki squareSSRブログ

2019/01/20

『翻訳とは何か』と『おもてなし』


 
 
 
 米国で出版された本は、今では、日本で本国とほぼ同額で手に入れられる。例えば先日届いたハードカバー "Portraits and Observations: The Essays of Truman Capote" は、米国で28ドル95セント。それの円払いが2,841円。しかもシアトルからの航空便。日本から洋書屋が消えるのも無理はない。

 さて、この本、『肖像と観察』と副題の付いた、カポーティのノヴェル以外の文業を集めたものである。いちいち付き合わせてはいないが、これに所収の文章のうち、主要なものは恐らく既に日本語訳があるだろう。しかし、1984年、彼が亡くなる直前に書いた ”REMEMBERING WILLA CATHER” などは、仮に翻訳があったとしても原文で読んでみたい一篇である。

 ところで翻訳とは何かという高尚な講義ができる人は、学校の先生にはなかなかいない。勿論、翻訳家に尋ねれば丁寧に説明してくれるだろうが、翻訳家は教師ではないので、教えを請う機会はほとんどない。
 私達が学校の英語の授業で、
「キミ、その五行、訳してごらん」と教師に言われて訳し、
「下手くそだなァ。関係代名詞、関係副詞をもう少し上手く訳せないもんかなァ」などと言われたことは誰にでもあるだろうが、上手いも下手も、そもそも日本語にない関係代名詞や関係副詞をどう訳せと言うのか。しかし、翻訳の難しさはまさにそういうことであって、関係代名詞や関係副詞を分かり易く乗り越えるために文章をふたつに分けたりすることを、正統派の翻訳家は極端に嫌う。つまり、そうすることにより意味は伝わり易くはなるが、それでは作家が原文で一息に書いている息づかいが伝わってこない。かつて日本の翻訳家の草分け・二葉亭四迷(1864 - 1909)が『いやしくも(つまり、仮にも)外国文を翻訳しようとするからには、必ずやその文調をも移さねばならぬ』と日本語訳への規範を示した。文調をも移すということは、ドイツ語のようにワン・センテンスが二頁にわたる場合であっても、それはワン・センテンスのまま日本語に訳せということだ ----- 堀辰雄などは翻訳でその姿勢を真面目に踏襲していて、最終的に主語と述語の関係がおかしくなってしまている訳もあるから、日本語で文章を長くする場合は、それにも気を付けないとならない。

 なお、"Portraits and Observations: The Essays of Truman Capote" 所収の一篇に “Hospitality” というのがある。早川書房に野坂昭如訳、筑摩書房に河野一郎訳があるが、どちらも『もてなし』というタイトルになっている。だが、これは内容からすれば『おもてなし』でなくては現代日本語としておかしい。




【Truman Capote / Mini Bio】


 

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