桜ヶ丘商店会連合会オフィシャルサイト -多摩市聖蹟桜ヶ丘駅周辺の商店街を広く紹介!!!-
匿名作家によるせいせき物語
好きで付き合って結婚してもしばらく経つと、多少かやたらかは別にして批判的になるのは、それは相手がよく見えてきたのが理由。
それは飲食店に対しても同様で、好きで通いはじめた店も、あまり通い詰めると粗も見えてくれば飽きもする。もちろんこれは物販店にも当てはまることで、永きにわたり顧客の支持に応えるのは、『なりわい』にとって如何に努力を要することか。
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年が明けると新入社・新入学・転勤など移動の機会も増え、ひとり、家族から遠く離れて暮らす運命の人も少なからずいることだろう。
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空腹を感じたら、それを満たすだけの、なるたけ少量の粗食を摂り、陽の高いうちに眠くなれば、しばし居眠りをする。
目覚めていれば、こぢんまりした一文をどこからか見つけてきて、幾度か声に出して読み、そうして夜が更ける頃、きみのために新たな一行を記す。
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この間、千葉県の妹分が話題にしていたスタバのシュトーレンが、ここまで簡単に手に入らないものだとは想像もしなかった。売れて、スタバの商売繁盛は大変結構。というわけで、店員さんに再入荷の日時を聞いて、今日、遂に買えた。
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冗談か乱心か、還暦を過ぎたある日、たまたま話のついでに『来世もまたあなたと一緒になりたい』と古女房に言って『私は結構です』とつれなくあしらわれたご同輩も少なからずおいでだろう。
そうまで言われるなら、
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なにかが足りると、なにかが足らなくなる。
だから人生は、いつもなにかが足りない。
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ガリガリ君も味の種類は多いが、タカラcanチューハイもこれまた多い。
東京下町ならではの『ラムネ割り』を飲んだ ----- 記憶に刻まれた昭和三十年頃の東京のお祭風景を思い出す。その頃は、都心を除けば、そこら中至るところ立派な田舎だった。
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外気は摂氏7度。ようやく冬らしい気圧配置。
ところでスタバが、今年、早くもシュトーレンを売出したとの情報あり ----- これは、食べに行かないわけにはいかないでしょう。普段は仕事場に近い東口のドトールに出入りしているけど、シュトーレンと聞いたからには、クリスマスまでに何度かスタバを攻めざるを得ない気がする。
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東京は、文化面で、どの辺りで東西に線引きされるのだろうか。大雑把に言えば『銀座』と『浅草』文化圏に別れるように見える。駅前の昔からある商店街のアーケード入口に書かれた文字で明瞭だ。西へ行くと〇〇銀座商店街という呼称が多くなる一方、東へ行くと〇〇仲見世商店街というのが多くなる。
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パリの東のはずれ ----- 深夜に小腹を空かせた雑多な職種の男女が淀み、沈殿する、一軒の終夜営業の飯屋でのことだ。
表通りはすっかり人通りも絶え、その店のある街角だけが凍てつく夜の暖炉の熾火のように明るい。
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最早今となっては、伝統的なおせち料理に積極的に食指は動かないものの、先日、同い年の友人と、もし食べるとしたら好物三点セットはなにかという話題になった。
そのまえに説明しておくが、関東、関西の伝統的おせち基本三点セットは、前者が『数の子』『田作り(ごまめ)』『黒豆』、後者が『数の子』『たたき牛蒡』『黒豆』という。
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戦前、大学の新聞学科は文学部に置かれていた。しかし、そうすると正しい日本語で記事を書くには最適だが、その内容が法的に正しいのか否かを判断するには文学的・情緒的になり過ぎるきらいも免れない。
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お歳暮の時節なり。
今時のお歳暮事情は半世紀前とは大きく異なり、義理のものは、およそ鳴りをひそめたようだ。
筆者は、普段よく顔を合わせている友に、年賀状を書かない代わりに年末年始に使える簡単なお口汚しを(できれば手渡しで)贈ることにしている。
キリンビールやサッポロビールなどの白文字が刷り込まれた、居酒屋用宣伝コップ程の大きさのコップにラム酒をドボドボっと入れ、あろう事か、そこにカレーライスのスプーンで山盛り一杯の白砂糖を投入(二杯入れる輩もいないことはないらしい)、多少はかき混ぜるが、確実に飽和状態だから底に大層な沈殿ができる。
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「丸の内じゃいつも売り切れよ。いったい誰が買ってるのかって思うわよ。でも、どこで買えたの、これ」
「昨日。正確には15時間くらい前かな。飛行機に乗る前、デュッセルドルフで...」
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ホテルの朝。
客を迎え入れ始めたばかりの食堂でひとり、早々と朝餉を済ます ----- このところ、めっきり洋食に手が出なくなった。
テーブルの上に調味料の小壜がふたつ。
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終日、西脇順三郎と小林秀雄を読む。
小林は半世紀前はもっともっと文学青年に読まれていた。西脇は、その頃でも読む人は少なかった。世紀を超えて読まれる作家がどれだけ少ないことか。村上春樹の五十年後の扱われ方は、全く知れたもんじゃない。作家の人気など、多くはその世代だけのモノだ。
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「とうとう、三十になっちゃった」ときみが苦笑したのは、ついこの間のことだとばかり思っていた。
ところが今日、久し振りに出会ったきみが「もう三十八よ」とささやく。
今を生きる人の時間感覚って、こんなものなんだろうか。
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米映画『エデンの東 (1955)』の撮影時、主演のジェームズ・ディーンが監督のエリア・カザンにテーマ曲の作曲家として推薦したのが、歳の近い、学んだ大学の音楽教授レナード・ローゼンマン。Wiki.では、『エデンの東』のテーマ曲がその作曲家のもっとも有名な作品と紹介されているが、それは疑わしい ----- Wiki.が100%信用できないのは、こういう点にある。
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鶏頭が最後の花盛りの頃を迎えると七五三の季節。あさってが、その当日ということで、市内各社とも氏子さん達による清掃が始まっております。
「神輿会さ〜ん、社務所の廊下に転がしてある神輿の担ぎ棒と拝殿の中の白木神輿を社務所の奥にしまって下さ〜い」と責任総代に言われ、明日朝十時から作業。
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